社長挨拶
代表取締役社長・・・柏木幹弘
私が社長・・(かしわぎ もとひろ)これが、わたしの名前・・昭和22年8月2日生まれ・・53歳です。
血液型A型、身長175cm 体重63kg 妻一人 子供3人 いわゆる団塊の世代・・
社長になったのは、先代の社長である父が退職し私が後継した。いわゆる同族会社。・・いや、家族が集まる家業
です。今住んでいる富士山の麓、富士吉田市大明見308は、江戸の中期に町全体が移住して作られた。絹織物を
作る為に作られた町です。
約300年前の出来事・・・
どこの会社にもそれぞれの歴史はあると思いますが、私たちの会社は(家族は)約300年間この大明見という小さ
な町で、代々、絹織物を業としてきました。
この町を造ったのが江戸時代の、秋本代官。この人は、この地域(山梨県は、郡内地方と国中地方の二つに分類さ
れています。私の地域は、郡内地方です。)を絹織物の町にし、また、群馬県にも同様のことをしました。
その時代としては、産業興しの達人として有名な人です。秋本代官が興した町として知っていただきたい。こんな町
の中に織物にこだわり続けて、今や時代の先端の「IT革命」とか、先端技術には目もくれず、絹・毛・綿といった天然
素材の織物にこだわり続けている人間、これが私、「もとひろ」です。・・・・・という訳で
私は織物馬鹿の代表です。
どんなことも、織物と結びつけて考えてしまうので、まわりの人達は大変だと思う。いつも変わったことばかり考えて
いるので、仕事が八方に飛び飛び・・今は大きな織物を考えている。
たとえばタペストリ−。富士山の懐に住んでいるので絵はどうしても富士山が中心。
1年に1枚は作りたいと思っている。1月20日から山梨県で冬季国体が開催される。このアイスホッケ−会場には、
2枚のタペストリ−で、またまた、「馬鹿」をした。こんなことが仕事になるのなら、趣味と実益をかねる新しい生き方
になるかもな〜・・いや、まねをしないほうが良いです。
その他に、織物で名刺とか、ハガキなども作っています。欲しいひとは、「もとひろ」まで、TEL・メ−ル・FAX・手紙し
て頂戴!!。織物のハガキをプレゼントなんてことも考えています。とりもなおさず、私は織物の事以外頭の中にな
い人間です。??
このへんで本業の話・・は、私の「家族」が本業を分担してくれているので、それぞれの自己紹介のなかから「本業」
を察してください。
(その方が、確実に正確です!)
私の夢・考えていることは、この家業が300年以上続いてきたので、これから300年続けられる織物の仕事を
したいと毎日考え続けている。ここに来て、世の中が私と全然関係ないところで大きく変わってきているようです。
このような変化に惑わされないで織物と言う物作りにこだわり続けたいとおもっています。
大切に思うことは、妻を愛し、子供達を愛し、会社の人々、まわりの人々を大切にして仲良くしていくこと。
・・・話が脱線しました。
織物は創造すること、絵を描くこと、文章を書くこと、夢を描くこと、心に思い浮かべること。このような表現を
する手段として、織物が私の考えの中心にあります。
その為には、毎日が技術とか発想について、内に向けての修行というか、学習というか、業を磨くというか、外に向
かうのではなく、内なる自己の完成ではないか??馬鹿社長の「馬鹿」といわれるゆえんがこのへんにありそう・・。
話が変な方向に行ってしまいました。ゴメン!!
今、研究していることをひとつだけ話します。織物で文字・文章を作りたい。ワ−プロで打った文字・文章が織物にな
らないか?1ドット、1本の糸、この組み合わせで考えることは簡単。
しかし、織物はたて糸とよこ糸の組み合わせ、ここをどうするかが、研究のテ−マ・・・
誰かこんな馬鹿に力を貸してくださ〜い!!Oh!!My God・・。(織物の名刺は、すでに作っています)
これが完成したら、織物の新聞を発行して、全世界に配達したい。インタ−ネットでこんなことできるかな〜?新聞
がだめなら本、本がだめなら・・??ウ−ン、めんどうだ!と思ったら、目が覚めた。・・・と、こんな馬鹿が社長の、夢
のまた夢でした。今後とも、宜しく!!
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